目次
愛される勇気と嫌われる勇気から学んだこと。
「愛される勇気」そして最初に発行された「嫌われる勇気」はセットで読んだ方がまだ理解度は深まります。
嫌われる勇気は日常に実践するにはまだ難しい部分がありますが、さらに具体的にどうすればいいのか?というのを「愛される勇気」で先生が噛み砕いて青年に語ってくれているからです。
私は以前「幼稚園の先生」という立場で教育に携わっていたこともあり、
教育に関することに関してアドラーの心理学には度肝を抜かれたことがありました。
それは、この「嫌われる勇気」から学んだ、
「子供を褒めてはいけない」「子供を叱ってもいけない」ということです。
私は、今までに子供を叱ってきたし、めちゃめちゃ褒めてきたので「まじか…」と結構落ち込みました。
今まの教育が全て間違ってるとかではないと思いますが、少なくともアドラーの心理学では推奨していないのです。
本に登場する青年は学校の教師を根ざし、嫌われる勇気でアドラー心理学に感動して、人生に希望を見出しました。
それから青年は先生として教壇の上にたち生徒を指導してきたのですが、
彼はその「褒めない」「叱らない」を実践した結果、見事クラスは崩壊して問題児がたくさんあらわれてしまい、苦悩の日々を過ごしていました。
アドラーの心理学は役に立っていないと実感して、再び大学の図書室に三年前アドラー心理学を教えてくれた先生の元へと訪れます。
「愛される勇気」という本では、
先生がまたアドラー心理学通して、子供たちへの教育に青年が具体的にどうすればいいのか?
ということを紐解いていきます。
なぜ褒めると競争心理が生まれて問題児が増えるのか?
青年は褒めないと叱らないと、生徒たちは問題を起こすようになる。
自分を認めて欲しいから、叱らずにはいられないし、褒めずにはいられないと言います。
一方アドラー心理学では、叱られないようにや褒められることを目的として従うようになるから褒めてはいけないし、叱ってはいけないと言います。
褒めたり叱ったりすることで「競争心」が生まれ、「他者は敵だ」「人々が自分を陥れようとする存在」
というものが根づいてしまうのです。
私はこのあたりを読んでいて、おそらく結局世界が狭くなっちゃうってことかなと…いうことも考えました。
その人に褒められたい、その人に叱られて注目を浴びたいと、自分の可能性をその教室内だけで行動し、自分の視野すらも狭くなっていくからではないかなと思います。
視野が狭くなると、その世界に固執して、自分の成長を止めてします。
周りにばかり目がいって「自分」をかえりみらなくなって、「個性」すらも最悪なくなるんじゃないかと思います。
だから褒めるとか叱ってはいけないことに、とても共感しました。
教育では生徒一人一人の自立が目標
では、このような場合、アドラーの心理学では具体的にどんなことを行えばいいのか?
教育者としては最終的に生徒の「自立」が目標だと言っています。
- 1人の個性を受け入れる(一人一人が尊い存在)
- 他者の関心ごとに関心を示す
- 自立を促しその人がその人であることを受け入れる
1.のようにまず一人一人の存在を尊いものを思うことで自立を促します。
つまり認められているというより、受け入れられているということを実感させるんですよね。
また2.のように、他人に人は関心を向けられてあまり嫌な気になんてなりませんし、むしろ好意的だと感じます。
そうやって生徒は自分のこととしっかり向き合ってくれることで先生と生徒の信頼関係が結ばれるのだと思います。
関心ごとはなんでもいいんですよね。
最近流行りのゲームだったりなんでも、まず生徒に興味を持つことから始めましょう!と先生は言います。
そして、3.最終的な目標が「自立」です。
自立って経済的とかではなく、精神的な自立です。
どう考えてもまだ10代の学生が経済的な自立をするのが現実的にまだ難しい時代ですよね。
私だったら学校で教えてもらえないことをたくさん教えたい!
例えば、私がもし教育の場にいたら、小学校・中学校・高校でも関係なく、
幸せとは?お金とは?成功とは?そういった知識をしっかりつけてあげることを大事にしたいなと思います。
これらの学びがどう生かされるでしょうか?
私はきっと大人になってから自分の人生をもっと豊かにしてより自分らしくいられる未来を築き上げられると感じでいます。
だって、なかなか学生時代に「お金の知識」なんて誰が教えてくれますかね?
大抵、教えてくれるのは一般的なレールです。レールは働き方やお金の使い方です。
もし親がサラリーマンだったら、サラリーマンになる方法しかわからない。サラリーマンの働き方しか知らない。サラリーマンのお給料はこれくらい。
そうやって学校では勉強以外の部分で、その人が最も生き生き生活していける人生の基盤を作るきっかけを伝えていけるといいんじゃないかな!と思っています。
幸せになる勇気は愛する勇気のことだった!
こうやって生徒を褒める褒めないの話から最終的にたどり着くのは、青年自身の部分です。
先生は青年がまだ自分で自分を認めて切れていない。
だから、自分が誰かを愛する勇気も持ちましょうと投げかけます。
まだ青年の中は劣等感でいっぱいで、こんな自分は愛されていない、と思い込んでいます。
でもそれではダメで、自分を愛することの手段として、他者(パートナー)を愛する勇気を持つことができれば、生徒一人一人としっかりと向きあい信頼をよせることができ、より良好な関係を取ることができるのではないかと言っているんだと思います。(うまくまとめられず、すみません!)
愛する勇気は簡単なものではありませんが、私たちはその努力の手を緩めてはいけません。
どんなときも人生において楽しい時も苦しい時も自分といやでも向き合わされてしまうのですから、
そうなるんだったら、自分自身の手でどんどん自分の殻を破っていかなければいけない。
そうやって幸せは自らの手で掴んでいくのだと思います。
愛する勇気を持って幸せな未来を実現させていこう。
ある1人の哲学者の所に3年後にまた訪れるまだ20代の青年。
彼はアドラーの心理学に三年前に触れてから人生に希望を見出していました。
が、しかし、教育の場で働いていた中で彼はアドラー心理学の理解に苦しみ続けたため、
今回哲学者の部屋を訪れアドラーの心理学を捨てるや否やと捨てる覚悟だったのです。。
しかし、また彼は哲学者との会話を通して希望の光を少しずつ見出し、
最終的にこの本のテーマ「愛」にたどり着きます。
今回もかなり理解するには時間がかかるし難しい。でも読まずにはいられないくらい先が気になるんですよね。気になって仕方がないのは、アドラー心理学を通して人生において最も大事なことを教えてくれることや、アドラーの心理学で心がふわっと軽くなったりするからなんです。
自分や人間関係に落いての悩みの多い人にもとてもオススメの本です。